風の散歩道
管理人ikeponが集めたとっておきのBB裏話を公開していくコーナーです。

★第8回 『え!竹野内さんの使った枕?』
NEW!!07.04.15.

何の変哲もない東京都内の、とあるクリーニング屋さん、そ この店のお嬢さんである「らんこさん」の日記がある。そこに は、なんとBBの関連情報が生生しく語られていた。2001年夏、 らんこさんは友人と「館山の海で泳ぐぞ!」と、愛車マーチを 走らせた。そこからの記載である。

 『わぁ〜い!やっと待ちに待った「夏休み!」今年はマイコと、千葉の館山で泳ぐぞぉ〜!!!!! と、新型マーチで、まず向かうは「御宿」。「月の〜砂漠を〜は〜る〜ばるとぉ〜」って曲が、頭から離れ ない。今日のメインの一つでもあるが…う〜む。ほぼ素通り。』
   《実は、この御宿の海岸の広い砂浜で、あの有名な童謡 「月の砂漠」が生まれたのである。海岸には月の砂漠記念館が建てられていて、砂 浜には旅のラクダのオブジェがあるのだ。/ikepon》


『ほんとのメインは、「死海風呂と死海エステ」よんっ!と、やってきました白浜のとある旅館。 「死海風呂」とは、まさに、あの人間がぷかぷか浮く「死海」のこと。ってことは、お風呂でぷかぷか浮いて遊べるのだ!』
   《BBのタレントさんたちが宿泊して借り切っていたこの旅館は、死海風呂が有名。死海の海水を空輸しているらしい。き っと広海も海都もマコちゃんも、春子さんも社長も、このお風呂で浮いていたに違いない。ちなみに、春樹の砂の船を作りに きた方々も、この旅館に宿泊したそうだ。タレントさんと一緒に風呂に入りたかったようだが、それはかなわなかったとの後 日談でした。しかし、本当に浮くのか?/ikepon》


『食事の前に豪華エステ。ミネラルたっぷりの泥パックで、体も心もすべすべに!って、 ここでマイコの悲しい一言。「パックしたら、水はじくよぉ〜!」って、喜んでいるじゃな い。水もはじかないような歳になっちゃったのかしら?私たち…はぁ。お風呂のフチに頭をのせ、体を浮かしてみるが…浮かないっ。 二人して、もう一度っ!…まるでダメ。と、とっても大きな女中さんに言われたわっ。「浮こう、浮こうって思っちゃダメ。何も考えずにしていれば 、自然に浮くわよ」って。あななたが浮くなら、私たちだって、絶対に浮くはず…。結局、何回も頭の中を「無」にしてみたが、「浮いた」って感 覚は、掴めなかったよ。』
   《彼女たちの悪戦苦闘はつづくのであった。じつは、この旅館こそが、BBのタレントさんたちが宿 泊していたところと気づいたようだ。ロケ中、ロケ隊は安房自然村、タレントさんはこの旅館を数ヶ月借り切っていたのだっ た。/ikepon》


『マイコと二人というのに、20畳近くある贅沢なお部屋。お布団を敷きに来てくれたおじさんに「ここは竹野内くんの部 屋だよ」って聞いたのは、食事もすんでくつろいでる時だった。「こっちとこっち、どっちに布団ひく?」2部屋もあるので迷 うよね。「ちなみに、竹野内くんは、こっちだったよ」って、窓際を指さされ、すかさずマイコは「じゃあ、こっち」と、窓際を指さした。 実は、ちょっと竹野内好き。ちなみに、奥から「反町」「竹野内」「広末」「稲森」って、 部屋割りだったらしい。マイコは「この枕、竹野内豊、使ったかなぁ?」と、ウキウキ だった。そんな風に、私たちの夜は過ぎていったのだ。』
   《BBファンにとって、この旅館は・・・、竹野内くんの使った枕は・・・/ikepon》


『今回の旅のテーマはなんなんだろう?「竹野内豊」か?いやいや、夏はやっぱり「海」でしょ! 白浜でおよぐぞぉ〜!って、朝から波が高いじゃないっ。仕方ないよね、台風来てるんだし… 前日の暑さとは、打って変わって「寒い、寒い」と、風に吹かれながら海に飛び込んだ!頭から、ザッブン、ザッブン波かぶって、大変だったよ。けど楽しかったぁ〜。 台風の中の「海ほたる」っていうのも、風強くて面白かったしねっ!』
   《というわけで、彼女たちの短い夏休みはすぎていったのだった。BBのオンエアされた1997年から4年後の夏のできご とでした。/ikepon》     


★第7回 『自分へのご褒美みたい』岡田惠和
「ドラマ シナリオ・マガジンNo.223(映人社)」より NEW!!06.02.01.

  岡田さんは2回目の登場です。この本のなかで、ビーチボーイズに対する考えが語られています。

▲▼▲自分へのご褒美 by 岡田▲▼▲
連続ドラマ「ビーチボーイズ」は、自分にとっては、何年か頑張ってきたことへの「ご褒美」みたいなドラマでした。 最初の企画打ち合わせの際の亀山Pの「夏はやっぱ海だろ」のひとことでスタートしたこのドラマ。 とにかく気持ちのいいドラマを書きたかったし、そう努めたつもりです。 めざしたのは「ビーチボーイズ」というタイトルがついた連作短編集の味わいでしょうか、 いい感じなテイストの演出と、細部にまで凝った美術、旬の俳優さんたちの肩に力の入ってない演技のおかげで、 自分でも大好きな作品になりました。

▲▼▲スペシャルについて by 岡田▲▼▲
めざした感じは、2時間半バージョンでも同じです。当初、このドラマで2時間半も持つんだろうかと思いもしましたが、 楽しんで書けました。思えば中学生の頃、ビーチボーイズのファンだったわたしは地元のレコード屋で、 男性コーラスのコーナーに入っていた彼らのレコードを、ロックBのコーナーに密かに移動させたりしてました。 それがいま「ビーチボーイズ」を書いてる。なんだか不思議な気分です。 ロケに行ってる亀山Pは電話で「撮影大変だよ、この本」と言ってました。脚本家でよかったなとしみじみ思う瞬間です。


そうか!BBは広海カーブで反町君が気持ちよさそうに言う、この言葉で始まったけど、この言葉は亀山Pの口から出た言葉だったんですね。 あたりまえのようだけど、とってもいい言葉ですね。
 「 夏はやっぱ、海だね!」
今年、海にでかけたら、言ってみませんか♪きっと、言ったあと気持ちよくなれますよ。

 「夏はやっぱ、海だね!!」


★第6回 『思わず泣いちゃいました・・・』広末涼子
「HIATARI RYO〜KO〜(ワニブックス)」より NEW!!05.07.01.

   1999年に出た涼子ちゃんのトークエッセイにBBの思い出が登場します。 ちなみに、広末涼子ちゃんは1980年7月18日生まれ、高知県高知市出身、血液型はO型です。

「『ビーチボーイズ』の最終回は広末的には心が痛かった〜。」で、始まる文章には真琴ちゃんの気持ちが感じられます。 11話で「おじいちゃんが死んじゃう!?」ってなって、それからもうショックで・・・。

 最終回の台本をもらって帰ったときも、お風呂に入って、もう寝られる状態で布団の上に正座して読んだんだそうです。
一説には、誰かのミスで台本に、「社長の基地」という文字が「社長の墓地」と印刷されてしまい、そこからのヒントで、 社長が死ぬことになったとかありましたね。
涼子ちゃんの思い入れがこういう仕草に表れていますね。 僕はあの回で社長の打ち上げられたボードを見つけたときの真琴ちゃんの「あ!」という力のない感嘆詞が妙に頭に残っています。 社長の死は、進行上の台本で変更されたようですが、アメリカ映画「カリフォルニアドリーミング」 と同じネタで社長の年齢詐称がでてきたのは制作側が、日本版のこういうものを作りたいという意図が感じられましたね。
台本の変更は「岡田さんの回」での話できっちりプロットを使うシナリオライターではない岡田さんの流れだと推測されますね。

 広末ちゃんが言うには、「BBは本当にいいドラマだったし、いい経験になった。優しい感じで、自分で見ても思わず泣いてしまう。」 ということで、一番感動したのは、春子さんが離れて暮してた子供と再会したシーンで、ビデオで2回見て、ウルウルして、 アレは何回見ても駄目という。

(広末ちゃんの証言)
1. 友達もまわりの人も、やっぱり泣いたみたい。私が出てるからひいき目に見ちゃうっていうのがあるかもしれないけど、 最終回はみんなボロ泣きだったって。

2. 広海と真琴がくっつけばよかったのにって意見もあるけど、それだと「ビーチボーイズ」じゃなくなっちゃう。 みんな離れ離れになって、新たな旅立ちがあって、あのドラマらしかった。

3. スペシャルが決まって今度は豪華にサイパンロケ。私は学校があるから大変。 反町さんに「だったら広末は日帰りで10回くらいサイパン通いだな」って言われた。みんなにまた会えるのはうれしいけど、さすがにそれは勘弁って感じ(笑)。  

 現役高校生の涼子ちゃんが、同じ高校生の真琴を演じた。同じ年齢であっても、環境が違う役が多い中で、 涼子ちゃんと真琴ちゃんのギャップは意外となかったんじゃないだろうか。離れて暮す母親から、「『ビーチボーイズ』見たら元気そうなんで安心した」と涼子ちゃんに電話があったそうだけど、 涼子ママの目には真琴役の涼子ちゃんが、ありのままの涼子ちゃんに見えたんじゃないかと思う。


★第5回 「人生の中で一番仲間はずれにされた時期」岡田惠和
「シナリオライターになろう!(同文書院)」より NEW!!05.02.12.

 この本では、人気作家10人がヒットドラマ創作について語っている。今回は『ビーチ』の脚本を書いた岡田さんについて語ります。岡田惠和さんはよしかずと読みます。 1959年2月11日、東京都三鷹市の出身。和光大学人文学部を中退し、20代後半にシナリオ・センター(東京・青山)で学ぶ。

 大学を中退したのは、ロック評論家になりたかったというように、バンドはやっていたようだけど、レコードのライナーノーツを仕事にしたかったようだ。岡田さんの父は演劇に音楽をつける仕事をしていたので、これに関わる人の紹介で雑誌のライターをはじめたらしい。27歳のとき、「月刊ドラマ」という雑誌を見て、シナリオ学校に入り、「西部警察」のシナリオをみて「ああ、こういう台本になるんだ、これなら自分にも書けるかもしれない」と思ったらしいが、これがシナリオをかじる人の最初の甘い罠であるらしい。

 一番初めに映画「スパイゲーム」の脚本を共作でやった。日本と香港の合作だ。香港映画は日本みたいに台本をつくらない。映画戦国時代で、そんなことをすると、3日くらい早く同じものがどこかでできてしまう。シーン25から始めたが、その前に何があったか分からない。「ぼくがすごく嫌な奴に思われて、あんなに仲間はずれにされたことはなかった。」という。

 脚本の世界は厳しい。連続ドラマは収録日もシナリオ締切日も決まって、それは絶対動かせず、逃げ道はない。例えば与えられた時間が2日だとすると、それができないということは、「降りる」という意味になる。岡田さんがシナリオを持っていくと、みんなが意見を言って直していくが、遠慮がないっていうか、自分が書いたものは好きだから、分からない奴が悪いみたいな感覚もあるが、テレビでこれは許されない。5人のうち2人がつまらないといえば、40%は拒否となる。5人が意見を言ってまとまらないときは、思い切って捨てることもある。危ないのは、みんなの意見を微妙にちりばめて、納得しそうなものを作ろうとすることだ。

 BBに関しても次のように記述されている。

「男はいつまでたっても子供だと、そういう男の人を僕が好きなんだと思うんです。本当に男は限りなく青臭くて、女の人は一貫して強いという座組みだった。女の人はほとんどウジウジ悩んでないですから。男はおじいさん(マイクさん)まで最後にウジウジしてしまう。男はどうしたらいいのかとか、何をすべきかと悩んでいる。女の人はスパッとしてる。女の人はあくまで潔くあって欲しいという思いが僕にあるんですね。」

郵便配達とタクシー運転手はプロット上はどうしても登場してこない。でもあのふたりがいることで、世界を豊かにしていく。またマイクさんがあんなにいい存在になるとは最初みんな思っていなかったらしい。これはみんなと絡んではじめてわかるので、予想以上にいい感じだったので殺しちゃっていいのかなって悩んだりしたそうだ。それから反町くんは跳ねさせようと思ったということだ。軽い反町くんは大きな賭けだという。

月9で恋愛でなく、男二人の主役ということで、相等悪い数字が出てもしょうがないと思っていたという。20%を割ると失敗といわれる時間帯だから、危機感もすごかったにちがいない。


★第4回 「月9ドラマ青春グラフィティー」 小池田しちみ著  同文書院 04.08.28.

 『恋愛のない月9』
 著者は、テレビを見ていい時間数と、見ていい番組の規制のある環境で24歳までを過ごしたそうだ。その反動か、あらゆるドラマに精通する仕事についてしまったようだ。人生とはまったく不思議な因果関係から成り立っている。この本の286頁の中のほんの4頁だけが、ビーチボーイズにあてられたスペースだが、意外と情報量は多かった。

●しちみさんの見解 その1
 夏、海、いい男がふたり、とくればどんな恋愛ものも成立するのに、あえて恋愛なし。代わりに友情が高らかに描かれるのかと思えば、二人の男はひたすら仮面ライダーの知識を競ったり、まき割り、釣り、ビールケース運びに本気になっている。  特別な事件は起こらず、劇的な展開があるわけでもなく、誰も感情を爆発させたりしない。潮が満ち引くように、海辺で人と人とが触れ合って、離れて、何かを残していく。明確に「迷っていた人生の答えがみつかった!」と叫ばずに、それでいて何か伝わってくるものがあった。配役のキャラに細やかな配慮が行き届いている。  いい男鑑賞に興味のない男性もひきつけられたし、恋愛なしの月9を女性も楽しめたと分析している。

●ドラマに関する亀山Pの見解
 舞台は漁村で、竹野内が田舎の高校の化学の教師、反町は「あんちゃん」的な漁師で男手ひとつで高校生の妹の広末を育てている。で、竹野内と広末が恋をして、あんちゃん反町がそれを認めるっていう企画を考えてたんですね。でも、話しながら何か違うねと言ってたら、脚本家の岡田さんから海が舞台ならって『ビーチ』の企画が出てきた。ストーリーは、僕の企画のほうがあるんですよ(笑)。  『ビーチ』は、いつかはくるかもしれないけど今日もきませんでした、みたいな男のモラトリアムの話で、コレといったストーリーはない。やっぱり自分の中で見つけるしかねぇかっていう、ただそれだけの結論のドラマ。ただ、フランス映画のように、日常にある海辺にいる人間たちを見せることで人生の縮図にするというものがやれたら面白いなと。千葉の海はLAの青い空に白い砂のイメージじゃなくて、フランスのくすんだ海に近い感じがありましたし。

●しちみさんの見解 その2
 『ロンバケ』で描かれた「次の出番がくるまでの神様がくれたお休み」を広海はのべつ幕無しにペラペラ喋りながら、海都は寡黙なまま海辺で過ごしている。言ってみれば女に部屋を追い出された広海が『南』で、仕事でつまづき自分の人生に疑問をもったエリートの海都が『瀬名』か。ダイヤモンドヘッドは瀬名のマンションで、恋愛の伝道師・桃ちゃんは人生の荒波を知っている春子に姿を変え、瀬名の才能を高く買っていた愛を説く佐々木教授は孫の真琴のいる元祖サーファーの勝となって、二人を突き放しつつ面倒を見る。不思議な存在だったるうも、はずきとなって健在だ。 『ロンバケ』からゴソッと恋愛要素を引き抜いて、男くささと何でも勝負にしたがる子供っぽさ、どこか腹の座った女性陣の大人ぶりをプラスするとあら不思議、気持ち良さは同じでも味わいの違う『ビーチ』に変化する。ドラマの構図に限りはあるが、どんなキャラクター造形をしてどんな化学変化を起こさせ、どんな味付けをするかは千差万別、無限大。おそらくそこが脚本家の腕のみせどころで、『ロンバケ』では恋愛の描き方に北川悦吏子テイストが存分に発揮され、『ビーチ』の決めつけない「自分探し」には岡田色が滲んでいた。

●ダイヤモンドヘッドの小さな情報
 千葉県館山市の布良の海岸にオープンセットを3週間かけて作り、1週間かけて古びさせた。クランクインして使用開始し、その後、スペシャルの制作が決まったことで、年末まで保存することになった。盗難や落書き防止のため、警備員がダイヤモンドヘッドと車に寝泊りすることになった。

●ikeponの追記
 レギュラーロケ時は東京からの警備員だったが、スペシャルが決まってからの警備員は地元の警備会社の警備員だったため、少し年齢のいった方となっていた。ある日台風が千葉県をかすめたので、朝行ってみると、警備員さんはトイレに出てきていた。「どうでした?」と聞くと、「ガタガタいって、おっかなかったよ!」と恐怖の夜のことを話してくれました。DHの一部まで波に洗われていました。おまけに風で民宿の「民」の字の看板がなくなっていました。スペシャルまでDHを守ってくれてありがとう。  しちみさんの文章から、いろいろな情報が得られました。たしかに、『ロングバケーション』からの続きとしてみれば、『ビーチボーイズ』は違ったおもむきがあります。 だけど、感じるのは、人間には次の出番が来るまで、神様から与えられる休みがあるということ。この休みに逆らおうとしても、良い結果はうまれないし、かえって事態を悪化させてしまうかもしれない。この休みは決して人生のなかでは無駄にはならないはずです。この休みがつぎの出番のためにあると思えば、気は楽というもの。村田英雄さんや水前寺清子さんの演歌の歌詞には、こういう話が折り込まれていたけど、いまの歌の詞ってこういう人生応援歌みたいなものが少なくなっちゃったよね。                               


★第3回「鈴木、強引な突破からシュート!」 04.06.12.

 彼の名前は鈴木規郎(NORIO SUZUKI),JリーグのFC東京のFWとして活躍する。

・ポジション  FW
・背番号 27
・生年月日 1984年2月14日
・出身 千葉県
・身長/体重 177cm/72kg
・血 液 型 O型
・経歴
2002年 八千代高校卒業
1年時 U−16日本代表
アジア最終予選出場
インターハイ3位 優秀選手
     3年時 千葉県選抜 宮城国体ベスト8優秀選手
U−18日本代表候補
U−19日本代表候補

・高い身体能力を持ち、スピード・パワーに優れ、強引な突破が魅力の左利きアタッカー。大久保、平山世代の期待される点取り屋である。なぜ、ここで彼を紹介しているのかというと、かれは、まぎれもない我々の仲間だったのだ。

☆ ここに、FC東京公認HPの鈴木規郎選手の日記を紹介します。

 今回の日記は、ぼくが人生のうちに一度でいいからやってみたいことを書きます。
 ぼくは「ビーチボーイズ」(編集部注:フジテレビ系で1997年7月〜9月に放映)というドラマに影響された一人なんです。高校時代のサッカー部の友だちにぼくと同じぐらい、このドラマが好きな友だちがいて、このドラマについてよくいろんな話をしていました。
 撮影現場が千葉のある海岸でやっていたんですけど、何度かその海岸にも行ったことがあるんですよ。残念ながら、その海岸の場所は秘密です。でも知っている人もたくさんいると思いますけどね。
 さて、ぼくが人生のうちで一度でいいから体験してみたいことはスキューバ・ダイビングなんです。
 まだ南の国(島)へは行ったことがないので、もし旅行とかで南の島へ行ったとき、スキューバ・ダイビングを体験できる機会があったら、絶対に海に潜りたいです。テレビや雑誌でしか見たことがないサンゴを自分の目で見たいです。 もし海に潜れたら間違いなく人生観が変わるんでしょうね!? そう思うと早く海に潜ってみたいです。 そんなことを考えていると千葉に帰ったとき、友だちと海に行ってしまうんです。別に海に行って何をするわけでもないんですけどね。
 ぼくは柏レイソルの近藤直也くんと仲がいいんですけど、よく二人で「サーフィンやろうぜ!」って話をしているんですよ。まだサーフ・ボードも持っていないんですけどね。サーフィンを始めたら、絶対に直也くんよりもうまくなってやる!
 これから、たくさんのマリンスポーツをやってみたいんですけど、スキューバ・ダイビングだけは、かならず体験したいと思います!



 鈴木選手は今年20歳、FWとして有望視されています。もし、代表に選出されたら、ぼくは応援に行ってしまうかもしれない。そのときは潮音海岸のTシャツで、美崎信用金庫のうちわを持って。 ガンバレ鈴木! アテネをめざせ!     


★第2回「予約した小倉ですけど・・・」 04.06.01.

  社長が高波に抱かれて逝ってしまったあと、春子さんは真琴と一緒に民宿をやっていくことに決まった。「良かったな、真琴」「良かったね、マコちゃん」椅子に座った広海都が声をかけると真琴はうれしそうに微笑んでうなづいた。そのとき、民宿の前に1台の車が止まる。「あれ〜?」クローズの看板をみて、3人の若者が入ってくる。

「あの〜、予約した小倉ですけど・・」

驚いたように席を立つ海都、荷物を持つ広海、春子さんの社長としての最初の客だった。 客のある社長のいたときのざわめきが民宿に戻ってきたみたいな2日間。

そうです。秋口に、サーフィンをやりにきた青年が、この回のキーマンとなりました。青年が海をみて、腕を組んで友人の波乗りをみている。そこに釣竿を下げた広海が通りかかる。 「あ! どうも」軽くあいさつをする小倉。
「うらやましいな。こんなところにずっといられて。サーフィンやられるんでしょ?サーフィンするためだけの海みたいですものね。他には何もないし・・あ!すいません。」
「あ!いや、これ〜、夕飯のおかずですから」とバケツの中の魚をみせる。
「あ、すごいですね」
「夕飯6時からですから・・」広海は歩いていく。
このかみ合わない会話から、広海は気づいていく。最後の客となった彼らが広海都に旅立ちを促す結果となる。まさにキーマンだった。今回は、この「予約した小倉くん」に注目してみました。広海に失礼なことを言ってしまい、すまなそうにするこの青年。小倉役の彼の名前は、木村 剛(きむら たけし)くんといいます。 神奈川県出身で身長が181cm、体重63kg、靴27cm,広海より背は高かったですもんね。 特技は、ギター、サーフィン、空手だそうですよ。サーフィンは本当にできるようです。 さて、ギターですが、CDもでています。

98年3月、「ハピネス」という曲でデビューしています。98年6月にはTBSの「未来ナース」のエンディングテーマを歌っています。99年には浜田省吾の「ラストショー」を木村バージョンでCD化しています。

管理人ikeponの夢は、マイク真木さんの館山コンサート(BBバージョン)を開くことなんだけど、木村 剛くんもゲストで呼ばなきゃいけないね。

(出演映画)
96年 「友子の場合」 小林太郎 役
96年 「僕は勉強ができない」 後藤正晴 役
97年 「イノセントワールド」 ミズキ 役

( ドラマ出演 )
TX 「田舎で暮そうよ」 西川優 役
CX 「お水の花道」 第7話 長瀬 役
TBS 「金のたまご」 第10、11、12話 木村剛 役
CX 「Dの遺伝子」 第14話 岩井公平 役
 「金魚のフン」 亀戸ツルヒコ 役
TX 「エコエコアザラク」 第5話 星野雄次 役
                          


★第1回「『ぼくらがドラマをつくる理由』角川書店
北川悦吏子、高井一郎、植田博樹、土井裕泰 連著」からのお話 04.05.17.

  BBのプロデューサーである高井一郎さんは、1963年2月27日生まれ、兵庫出身。慶応義塾大学文学部卒、1987年にフジテレビに入社している。この10年後に亀山PとBBを作るまでの10年間のエピソードが面白い。

『生まれてきた意味を見つけたいから』 高井一郎より

  子供の頃からテレビっ子で、テレビが好きだから、テレビ局を受けて受かっちゃった。これが高井Pの生まれる始まりでした。高井さんは自分にしかできないものをやりたい。この父と母から授かったものを活かしきれる幸せと、好きなことをやれる幸せがあるのなら、授かったものを活かすほうを選ぶ。その授かったものを探したいと考えていました。

  CXで配属されたのはスポーツ局でした。ここはいろんなジャンルの映像を全部いっぺんに学べた。バラエティの第二制作に毎年希望を出しつつ、「プロ野球ニュース」のオフ企画をやっていたが、入社6年目に報道に行っちゃった。上との大喧嘩の懲罰人事だと思っているそうだが、端からみると栄転だという。ボーナスは報道の衣装に消えてしまったそうだ。報道には4年いたが、「自分であることをどこかで見つけたい、表現したいと思っている男にとって、報道はいちばん不向きなところだった。しかし、警視庁クラブでは、神戸の地震やオウムやらで報道番組でのロン毛の高井氏の露出は多かった。

  入社10年目の1997年、ようやく第一制作というドラマ制作に異動になった。「ナニワ金融道2」の雑用をして現場をみて、「踊る」のアシスタントプロデューサーを担当したが、これがラッキーだった。まさにここはプロフェッショナル集団だった。警視庁クラブにいたということで、亀山さんが打ち合わせに呼んでくれた。喋ってないと気がすまないおしゃべりの高井さんが、亀山、君塚、石原の話を聞いているだけで楽しくてしょうがない。くさらずに報道でチャンと仕事しててよかったと思ったそうです。

  その半年後に亀山さんに、反町隆史、竹野内豊の企画を共同プロデュースでやろうと言われて「ビーチボーイズ」ができるわけです。

  スポーツにいたとき、プロ野球ニュースのオフ企画でさんまさんに出てもらい、「おー、あのときの高井くんかぁ」なわけです。そのあと「オーバータイム」で亀山さんから「やってみないか」と仕事を振られたことで、北川さんと知り合えた。「彼女たちの時代」は「ビーチボーイズ」のつながりで岡田さんが本を書いて、「踊る」の深津絵里さん、水野美紀さんが出てくれた。「ビーチボーイズ」一発で高井氏の思いをわかってくれちゃった岡田さんと「今度は女の友情の話をやりましょう」といって作った。幸運なことに全部どこかでつながっている。「世界でいちばんパパが好き」では、明石家さんまさんでドラマをという話があったので、「池中玄太80キロ」をやりたいと思い、当時「ビーチボーイズ」に出ていた広末涼子を口説いて君塚さんに書いてもらった。

   この本のなかで、高井さんの「自分の海探し」の一端が垣間見られます。スポーツ、報道で10年が経ち、その後ドラマ制作に回ってくる。そこで、プロ集団ともいえる輪に迎い入れられ、高井さんの才能が花開く。もちろん、そこには高井さんを支えるような連鎖的な人間関係のつながりが存在している。それはいままでの彼にとっては不似合いな10年間が無駄になっていないことが語られている。「人生って、無駄なことってないんじゃないかな?」って、劇中で海都が祐介に話していたけど、これは高井さんから出た言葉なんじゃないかなと思わせますね。

                          


 

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