英雄の生涯 |
「・・ヒーローってのはさ、ヒーローってのは、死ぬかカッコよく去っていくか、どっちかしかないじゃん・・・」 アニメのヒーロー物が大好きだったらしい海都。 個人的には、海都はそうカッコいい人生を生きないような気がしている。 地位、権力、財産など、いわゆる一般的な(「アメリカ的な」か?)成功のイメージに照らし合わせた場合、のことだけれど。それらは大抵人間の欲望の延長上にあるものだ。 自分自身になるプロセスの中で、それらは与えられるかもしれないし、与えられないかもしれない。 コースもゴールもあるプールで競争して一番になることは、そうした成功のイメージの象徴にも見える。 そのイメージは、海都のかつてのエリート人生の先にも、見出すことができただろう。 しかし海都も広海も、そこから離れてしまった。海にはコースもゴールもない。華やかな青年実業家(?)などは、広海がもう試してみた。 彼らが勝の上に見たカッコよさは、もっと違う質のものだった。 海都の言うとおり、英雄には悲劇性がつきまとう。 古い英雄物語では、たいてい最後には裏切りにあって殺されたりする。 自分の信じるところを自由に行っていい。常人のなしえないことをやりとげるかもしれない、ただし、安全も成功も保証されない・・・。 海都はどうしているのだろう。 どこか穏やかな土地で畑でも耕しているのか、あるいは、どこか危険な土地で地雷撤去でもやっているのか、それとも・・・。 いずれにしても、アニメのヒーローのように華々しくはないだろう。 地味で、困難で、しかし確実に誰かに影響を与え、幸せに導く力にもなり、かつて海都や広海が勝を見たように、 いつか、憧れと敬意をもって海都を見上げる若者もいるだろう・・・そんな姿を想像している。 個人的には、ひそかにこう思っている。 華やかにカッコよくなくていいから、将来はやっぱりこれを願う。 「そしていつまでも幸せに暮らしましたチャンチャン。」 * * * * * ・・何もなく平和にそのまま終わりましたチャンチャン、そんなヒーロー物ってあるかよ!
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