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何者でもない

同窓会などで時々こんな言葉を耳にする。
「大人になってから友達になるのは難しい・・・」

学生時代は、まだ何者でもなかった。何かの立場や都合などに絡めとられることなく、若く、 まっすぐに相手の人間そのものにぶつかっていくことができる。

大人になると、合いそうもない個性とは、ことさら垣根を超えてまでコミュニケーションをとろうと思わなくなるらしい。垣根越しに挨拶を交わし、一定の距離を置く。互いに別の人生があるのだから。時計が忙しくそれぞれの時を刻む・・・。
桜とのデート中、しばしば海都の時計のアラームが鳴った。時計は人を分断するのかもしれない。

会社を辞めた海都と、根無し草のような広海。何者でもなくなるまでは、けっして出会うことはなかっただろう人たち。
彼らが時計が刻む時間の中で出会っていたら、(商社マンの海都と水泳選手の広海では、出会いそうもないけれど)従業員部屋での最初の日のように、噛み合わないままだっただろうか。

(「世紀末」の亘と教授もまた、仕事も帰る家も失った、「何者でもない」同士だった。) 自分自身以外の何も持たない、その自分自身さえ何やらおぼつかない、危うい時。
『何者でもない』時は、実は何か大切なものに出会う大きなチャンスでもある。そのときは、意志をどの方向へ向けているかがとても重要になる。
海都と広海は「俺の海」という指針を見つけた。 まだ漠然としたものではあるけれど、それはいつか彼らを、本来の場所に導いてくれるのだろう。

* * * * *

そのバカがしたくなったんだよ